真面目なんだかなんなんだか。

笑いとシリアスは紙一重である、という話。
よく言われる理由は、笑いを追及した人に真面目な人が極端に多いから。
特筆して、壊れた笑いを提供する人にはその傾向が顕著に表れる。
「壊れている=狂気=シリアス」という図式を笑わせることで表現する、
それこそが本質的な狂気である、ということ。うん、狂ってると思う。


「面白い≠おかしい」です。
もっと言えば「面白い<おかしい」である、と。
この場合の「おかしい」は「変」でもいい。
人が笑ってる空間を客観的に見るととてもおかしい。
何で笑ってるの?そこに何があるの?
「面白い」を追求すればするほど「おかしく」なっていくということ。
「変」の意味は「狂ってる」、「わからない」、「怖い」に変化していく。


表現者なんて言葉は大層で使いづらいのだけど、
「変」は表現者に向いている素質のひとつだと思う。
一歩間違えれば犯罪者にも成りかねない要素を、いかに表現するか。
音楽、小説、絵画、写真、様々な芸術はその表現の産物である。
それが「怖い」に繋がるのは当たり前のことでありながら、
それを求める私のような人がたくさんいるのもまた事実。
「変」であることに憧れてみたり、ね。


で、阿部サダヲの話。
前置き、長っ。
そして意味無っ。


東京フレンドパーク見たよ。何でってそりゃ阿部サダが出るから。
私の一日一時間のテレビ時間は全て阿部サダに費やしましたとさ。
この人、ただの役者さんなんだねー、と思いながら。
ガラスの仮面じゃないけどね、仮面取ったらただの人。
隣のベッキーがあまりにもタレントとしての質を備えているから、
その普通要素が目立つ目立つ。
あ、ベッキーは可愛いのよ、めっちゃくちゃ。好きなん。
例えばゲーム中。ベッキーは声を上げるし、カメラを見る。
とても当たり前のことだよね。テレビ出てるんだもん。
でもね、阿部サダは普通なの。カメラ目線全くなし。普通の人。
きっとこの人は普通に普通の生活をしている普通の人で、
演技をするときにだけ演技をする、職業・役者さんなんだと思った。


これは私にとって最高の褒め言葉です。
芸能関係に関わらず、プロ意識があることはとても大事なこと。
この人は役者として生きているというだけ。
前にも書いたけど、一つのことをする方が格好良いしわかりやすい。
この人はグループ魂でも「破壊」という仮面をかぶって演技をしてるんだね。
グループ魂は阿部サダにとって音楽劇なんだろう。


とね、気持ち悪く書き殴って見たけれど、
私こういう人が凄く「怖い」の。書きたかったのはそういうこと。
恐怖の意味じゃなくて、いつか壊れてしまいそうで。真面目すぎるから。
勝手な妄想だけど、フラストレーションが溜まってるんじゃなかろうか、と思って。
面白いから、その分だけ怖い。
で、好きなの。ものっそい好きなの。ほんとに書きたかったのはそういうこと。


はい、終了。やっぱり長いな。
追記ってか疑問なんだけど、阿部サダヲを「あべさだ」って書くのってどうすれば良いの?
どれが普通かわからないまま「阿部サダ」って書いたけど。
全部カタカナにすると「アベ」になってしまって、
私の中で人が変わっちゃうんだよねぇ。ミッシェルミッシェル。
どっちも好きだからいっかぁ。