手記。

実はパソコンで日記をつけています。
自分ですら読み直さない日記。
文体は様々、文法はアバウト、
あげく、日記とは名ばかりに日々の出来事は書いたことがない。


今日、初めてそれを読み返してみた。
感想はひとつ。私って胡散臭い人間だなー。
書くっていうよりも書き殴っているのが原因なのか。
文章の最後に書かれる路上詩人のようなちょっと良い言葉がひどい。
あれがとても胡散臭い。


というかね、そもそもタイトルが毎日毎日暗い。
「試行錯誤」、「存在」、「嘔吐」、「人間観察」、
「もう、わや」、「煙草」、「会話」、「アルコホリック」、
しまいの果てには「生きとし生けるすべてのものへ」。


胡散臭いだろう?
思えば高校のとき日記をつけるのを止めた理由が、
人として暗くなるから、だからね。
それが嫌ならはなからやめろって話なわけで。


ちなみに、胡散臭さの証明として日記の絞めの言葉を以下引用。


死ぬ間際に「生きていた」と感じられるように、少しの前進を。
一歩目は小さくとも、歩き出すのには必要な一歩だ。
左足を軸に、右足を前に押し出して。


一昨日を後悔する、昨日を後悔する。繰り返しの作業。
もう、これは作業でしかない。
やって良かったと思うことがほんの少しでも増えるといいな。
行動は絶対に良。


↑「うざい」の意を表すのなら辞書の例文にこれを載せるべきだね。


こんなことを長々とブログなんて人の目が触れるものに書くのは、
さっき車で子猫を轢いたからだと思う。
ドンと音がした辺りを歩き回ってみたけど、
血塗れであろう子猫は見つからなかった。
あの子猫はどうなったんだろう。
でもね、本当はそんなこと問題じゃなくて。
私は確かに子猫を轢いた。
それくらいはわかる。


私には私の気持ちがはっきりとわかっていて、
死んでるとか生きてるじゃなくて、私はあの子猫をこの手で触りたかった。
死んでいれば少しでも供養が出来る。
生きていれば治療だって出来る。
それは全て私のための行為でしかないけれど、
何も出来ないのはあまりにも辛すぎる。
今、私の目には死に絶える子猫の姿がはっきりと浮かぶから。


本当に自己満足でしかないんだけど、
少しでも供養になるように、ここに文章を載せます。
今日は自分の無力さを嘆いた日。